2026年8月28日に公開された『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』は、前作『叛逆の物語』から13年を経て公開された待望の続編です。
本作は、暁美ほむらと鹿目まどかの関係性を掘り下げるとともに、ワルプルギスの夜の真実や、新たなキャラクターの登場により、物語にさらなる深みをもたらしました。本記事では、その詳細な内容を振り返り、作品が提示する数々の謎や伏線について考察します。
この記事は『TVアニメ 魔法少女まどか☆マギカ』、『劇場版 [新編]叛逆の物語』、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』の多大なるネタバレを含みます。
ネタバレ防止のお願い
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〈ワルプルギスの廻天〉をご鑑賞いただく
皆さまへ、あらためてのお願いです。ネタバレを含む投稿につきましては
【9/12(土)0:00】までご配慮いただくよう、
ご協力をお願いいたします。#まどかマギカ pic.twitter.com/LMbdP1q4M1— 魔法少女まどか☆マギカ (@madoka_magica) August 27, 2026
『叛逆の物語』からの正統続編
『魔法少女まどか☆マギカ ワルプルギスの廻天』は、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』のその後を描いた物語です。
「悪魔」となり世界を書き換えたほむら
出典: www.youtube.com
前作『叛逆の物語』終盤、暁美ほむらは円環の理から鹿目まどかを引きずり下ろし、自らを「悪魔」と名乗って世界そのものを書き換えました。このほむらの行動は、まどかがかつて「一人で忘れ去られるのは辛い」と述べた言葉に応えるもので、まどかを救いたいという一途な思いからくるものでした。
ほむらが円環の理から奪ったのは、円環の理の一部であるまどかの人間としての部分のみです。円環の理自体は機能し続けており、魔法少女が魔女化することなく、見滝原の仲間たちが平和な日常を送る理想的な世界が実現しました。
本作では、そのほむらが作り上げた世界に新たな異変が起こり、再びまどかや魔法少女たちを巻き込んだ物語が展開していきます。
『ワルプルギスの廻天』ざっくりあらすじ解説
うわさ話のトカゲさん電話
出典: www.youtube.com
見滝原では、「トカゲさん電話」と呼ばれるうわさ話が流行しています。
電話をかけると願いを叶えてもらえる代わりに、この世に存在する呪いと戦わなければならないというもので、願いを叶えた少女たちは特殊な力を使って魔獣と戦うようになります。この「トカゲさん電話」の仕組みには、世界を作り変えたほむら自身が関わっていました。
出典: www.youtube.com
しかし、そんな世界に「名前のない上級生」、紫丁香、セルマ・テレーゼという見覚えのない少女たちが現れます。さらにマミや杏子たちは、突然現れたはずの彼女たちを以前から知っている仲間のように認識するようになっていきます。
異変に気付いたほむらとさやかは、少女たちの正体を調べ始めます。
謎の少女たちの目的
出典: www.youtube.com
名前のない上級生は、まどかに接触すると彼女を「マルグリート」と呼びます。彼女たちは現在の世界がほむらによって作り変えられたものであることを知っており、まどかを再び「円環の理」へ戻そうとしていました。
しかし、ほむらにとって現在の世界は、まどかを神のような存在ではなく、ひとりの少女として生きさせるために作ったものです。そのため、まどかを円環の理へ戻そうとする彼女たちとほむらは対立することになります。
ほむらとさやかが調査を続ける中で、「名塚底根(なづかそこつね)」と呼ばれる特殊な領域の存在も明らかになっていきます。
名塚底根には、さまざまな時間軸や世界で誕生した魔女たちの情報が残されており、今回現れた少女たちとも深く関係していました。
ワルプルギスの夜の正体
出典: www.youtube.com
名塚底根を通じて、本作ではこれまで謎の多かった「ワルプルギスの夜」に関係する過去も描かれます。
かつて「マルグリート」という魔法少女が存在し、苦しみながら戦う魔法少女たちを救おうとしていました。しかし、多くの魔法少女たちの絶望や呪いを引き受けようとした結果、マルグリート自身も膨大な呪いを抱え込んでしまいます。
その結果、彼女はひとりの少女としての姿や名前を失い、巨大な存在へと変化していきました。
出典: www.youtube.com
このマルグリートの過去が、シリーズに登場してきたワルプルギスの夜の成り立ちへとつながっていきます。また、名前のない上級生をはじめとした少女たちも、マルグリートやワルプルギスの夜、名塚底根と深い関係を持つ存在であることが明らかになります。
人間のまどかと「円環の理」が再び近づいていく
出典: www.youtube.com
物語が進むにつれて、ほむらによって人間のまどかを切り離された「円環の理」にも変化が起こり始めます。『叛逆の物語』以前のまどかは、魔女になる直前の魔法少女を救済する「円環の理」という世界の法則そのものになっていました。
しかし、ほむらはそこから「鹿目まどか」という少女の部分だけを切り離していますが、その人間のまどかと円環の理が再び引き寄せられていきます。
やがて円環の理そのものが見滝原に現れ、普通の少女として暮らしていたまどかにも大きな変化が起こり、まどかは再び円環の理へ取り込まれようとし、ほむらも一度は自分がまどかを円環の理から奪った責任を受け入れようとします。
しかし、さやかたちは「円環の理」ではなく、自分たちが知っている「鹿目まどか」を助けるようほむらに訴えます。
その言葉を受けたほむらは、再びまどかを救うために動き始めます。
多くの謎を残して物語は終わりへ
出典: www.youtube.com
終盤では、円環の理、ほむら、新たに現れた少女たち、そして名塚底根が絡んだ戦いへと発展します。
ほむらは人間としてのまどかを取り戻そうと奮闘しますが、最終的にまどかはほむらたちの前から姿を消してしまいます。ただし、まどかが完全に円環の理へ戻ったのか、それとも別の状態になったのかについては明確に説明されません。
出典: www.youtube.com
さらにエンドクレジット後には、キュゥべえが名塚底根に興味を示す場面も描かれています。
こうして『ワルプルギスの廻天』は、ほむらが作り変えた世界に起きた異変やワルプルギスの夜の過去を描きつつ、まどかの行方や名塚底根、キュゥべえの今後など、いくつもの謎を残した状態で幕を閉じます。
『ワルプルギスの廻天』が描くラストシーン
結末の解釈
「ワルプルギスの廻天」の結末は、一見するとまどかが再び円環の理に還り、ほむらの願いが報われなかったかのように受け取られがちです。
しかし、この結末が単なる「ふりだしに戻る」ものではなく、むしろ「真のハッピーエンド」に向けた重要な一歩であると考えています。作中で描かれる「叛逆の物語」の結末は、まどかを円環の理から引き剥がすことで偽りの日常が築かれ、多くの矛盾を抱えていました。まどかは記憶を失い、魔法少女たちも改竄された記憶の中で過ごしていました。これは「間違ったハッピーエンド」であったのでしょう。
「ワルプルギスの廻天」は、なぜまどかを円環から引き剥がすべきではなかったのか、その結果としてどのような不具合が生じるのかを具体的に描いています。そして、ほむらによって記憶が改竄された少女たちの姿が、この世界の「間違い」を象徴しています。
本作が目指すのは、円環の理が正常に機能し、同時に少女たちが偽りなくありのままで過ごせる世界、すなわち「本当のハッピーエンド」です。私はこの作品を、その着地点に向けて歩みを始めた物語であると解釈しています。
「ワルプルギスの廻天」が導くハッピーエンド
本作は、まどかが円環の理に戻ることを避けられない事実として描きつつも、彼女の存在が現世から完全に消滅したわけではないことを示唆しています。主要キャラクター全員がまどかの存在を記憶し、彼女の救済を願うという「叛逆」では成しえなかった「皆の協力」が描かれました。
出典: www.youtube.com
つまり、ほむらはもう孤独ではありません。自分を理解し、信頼してくれる仲間たちと共に、次こそは「皆で」まどかを取り戻すという希望を抱いているのではないでしょうか。エンドロール後の続編を匂わせる描写も、その可能性を強く示唆しています。この物語は、「間違ったハッピーエンド」から、「真の完結」へと、魔法少女たちの物語が一歩ずつ前進していることを描いていると信じています。
ワス『私たち魔法少女は円環の理というシステムではなく鹿目まどかという少女の願いに救われていた。』
そして、ワスのこのセリフは、円環の理というシステムだけでは不十分で、その中核には「鹿目まどかの願いや祈り」が必要であることを示しています。ほむらが悪魔になったことで円環の理が変質し、システムを維持できなくなったからこそ、今回生じたおかしな箇所を発見できたのです。このことから、ほむらが悪魔になったことも決して無駄ではなかったと解釈できるでしょう。
まどかは、個としての存在を維持しながら円環の理を発動させ、ほむらから悪魔の権能を奪うことも、人間として元に戻すこともしませんでした。これは、まどかがさやかをはじめとする魔法少女たちの道のりを無かったことにはしない優しい女の子だからこそ、自分を命懸けで、悪魔にまでなって幸せにしようとしてくれたほむらの祈りを消すような選択はしなかった、と解釈しています。
見えなくても、互いに近くにいることを感じられる新たな関係性こそが、「ワルプルギスの廻天」なりのハッピーエンドであると考えるのです。
エンドロールの足跡を含めた考察の着地点
エンドロールの白い足跡と黒い足跡は、まどかとほむらだけでなく、円環の理の足跡も含まれている可能性があります。最後に去っていくのはまどかではなく円環の理の方だったと解釈すると、まどかとの完全な別れではないという見方もできるでしょう。
出典: www.youtube.com
意識を取り戻したまどかの瞳が円環の理を思わせる金色の瞳ではなく、魔法少女である鹿目まどかの赤い瞳に戻っていた点も重要です。
円環の理も、涙するまどかと話し合った後に去っていったことから、人間としてのまどかはいないかもしれませんが、円環の理の中に「鹿目まどか」という存在を維持しつつ救済を行うという概念に変化させたのでしょう。
物語の最終盤、ほむらは安らかな表情で眠り続けています。この安堵の表情は、やはり気になります。
この表情の理由は、まずほむらが久々に「本当の自分」を覚えているまどかと再会できたこと、まどか以外の仲間たちが、偽りの記憶ではなく本当の記憶を持って自分を理解し、信頼してくれたことによるものだと推測します。
そして、「トカゲさん電話」を介してなら連絡を取れるようになった、だから安らかな表情で眠っているというエンドなのではないかと考察しました。
主題歌「彼方」の歌詞が語るまどかの決断
主題歌「彼方」の歌詞も上述の考察の通り、まどかが円環の理には素直に還らず、あの世界で「鹿目まどか」という思念になって、直接隣にいる形ではないにせよほむらと共に歩んでいくことを決めたまどかのアンサーソングであると解釈できます。
冒頭の「さようなら さようなら」という歌詞は、まどかがいない世界を受け入れ生きる曲という意見もありますが、さやかたちに後押しされて諦めないことを決めたほむらの視点ではなく、まどかの視点からの言葉である思われます。
「私はここにいるよ」という歌詞は、まどかの最後のセリフそのままであり、ほむらの「何処にも行かないで」への回答でもあると解釈できるでしょう。「貴方と共に行くよ 彼方へ」は、ほむらとまどかが共に歩んでいく未来を示唆していると読み取れます。「物語の終わりは 始まりの朝焼けに続いていく」という歌詞も、希望的な未来を示唆しています。
パンフレットカバーが示唆する関係性
特装版のパンフレットカバーは一見すると「ほむらとまどかは再び離れ離れになってしまう」と捉えられがちです。
しかし、このカバーは「見えなくても一緒にいられることを選んだ」という上述の考察を後押しできるようにも推測できます。まどかと同じカバーに悪魔の羽が描かれていることから、悪魔の力はほむらから離れていったことを示唆しているとも考えられます。
裏表紙の言葉が紐解く登場人物たち
パンフレット裏表紙中の言葉には、本作における登場人物たちの関係性と救済の連鎖が込められていると読み取れます。
『女神さまは 魔法少女を』
『魔法少女は みんなを』
『あなたは 女神さまを』
『あのこは あなたを』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天> パンフレット
「女神さま」「魔法少女」「みんな」
「女神さま」は円環の理を、「魔法少女」は特定の誰かではない過去から未来まですべての魔法少女たちを、「みんな」は魔法少女のような力を持たない一般人を指すと解釈できます。
つまりこれは、円環の理はすべての魔法少女を救い、魔法少女たちは色んな時代や世界で、さまざまな人を救ってきたことを肯定しているのだと思われます。
「あなた」「あのこ」
そして、さらに抽象的な「あなた」と「あのこ」。
これは「あなた」がまどかと同一の存在である「女神さま」と別人として扱われていることから、これはほむらを指すと推測できます。そして「あのこ」がまどかを指すと解釈すると、最後の一文が「まどかは ほむらを」という、物語の重要な救済を示唆する内容となります。
まどかからの想い
これは、ほむらが思い出したTVシリーズのワルプルギスの夜戦のシーンの再演であり、ほむらがあの願いを思い出し、まどかを救おうとしたことに対しての、見えなくてもいつも一緒にいるという、まどかからの想いであると考えられます。
これは、ほむらがまどかを救うというこれまでのテーマを再確認しつつ、まどかもほむらを救うという答えが改めて示された点に、本作の重要な結末を見出すことができます。
名塚底根とキュゥべえの暗躍
宇宙の外側の存在としての名塚底根
出典: www.youtube.com
名塚底根は、本作で新たに判明した「宇宙の外側」に存在する空間です。円環の理も感知できなかったこの場所は、ワスたち魔女っ子が円環の理から現世へと行き来する経路として機能しました。
これにより、これまで堅牢なセキュリティで守られていた円環の理へのアクセス経路が確立され、現世からの観測が可能になったと推測されます。名塚底根は、円環の理の前身、あるいはそれに近しいシステムであった可能性が作中で示唆されており、その存在は物語に決定的な影響を与えています。
ワルプルギスの夜が生まれる過程で、名塚底根というシステムを生み出すことになります。
名塚底根は、魔女になる少女たちの記録が保管され、呪いを溜め込んだ魔法少女に名前を与えて「魔女」という個性のある存在へと変化させる場所です。これにより、従来なら自我を失って魔女となるはずだった魔法少女たちも、名塚底根によって名前を与えられることで魔女としての自我を保つことが可能となりました。
構造体の永続性
ワルプルギスの夜が円環の理によって始まりを思い出し、救われてもなお名塚底根が健在であることから、宇宙の外に築かれた構造体は、その創造主の如何に関わらず存続するものと読み取れます。
システムとして、管理者不在でも稼働し、停止しない特性を持つようです。円環の理が主体たるまどかを引き裂かれても稼働していたように、これらのシステムは独立して存在し続けます。
名塚底根とキュゥべえの戦略
上述した通り、名塚底根という場所は、まどかたちの宇宙の外側に存在しています。キュゥべえがここに陣取ることができた事実は、今後の物語に大きく影響するでしょう。
出典: www.youtube.com
観測できれば干渉できるというキュゥべえの性質を考えると、魔法少女たちがバックドア的に円環の理から名塚底根に出入りし、システムを操作できるのであれば、その逆も可能であると考えるのが自然です。
さらにキュゥべえが宇宙の外に個体を置くことができたのは、極めて大きなアドバンテージです。
たとえ円環の理や悪魔ほむら、あるいはそれに類似する存在が今後現れ、世界を改変したとしても、宇宙の外にいる個体がバックアップできるため、改変前の世界のことを忘れることはありません。
魂のリサイクル計画の可能性
『ワルプルギスの廻天』では魔女っ子たちが内側から不具合を利用して現れましたが、ポストクレジットシーンでも描かれたように、今後キュゥべえがこの不具合を悪用する可能性は十分にあります。
単に魔女をポン出しするだけでは意味がないと本編でも語られていますが、魔法少女の魂をもう一度砕けばどうなるかをキュゥべえが考慮しないとは考えにくいです。使い捨ての燃料であった魔法少女の魂がリサイクル可能になるのであれば、キュゥべえがその計画を実行しないはずがありません。
キュゥべえと手を組む可能性も?
出典: www.youtube.com
この名塚底根において、キュゥべえと手を組むことで本当の大団円に向かうということも可能性があると思われます。
なぜなのか、それは名塚底根が「宇宙の外側」の存在であれば、他にもより開けた「宇宙の外側」が存在する可能性があるため、「宇宙の外側」と物質やエネルギーのやりとりができることになります。これは、まどかたちの世界・宇宙が孤立していないことを示唆し、熱力学第二法則による宇宙の死は起こらない可能性を示しています。
つまり、「まどかを取り戻す」という見滝原の魔法少女たち、「すべての魔法少女を救いたい」というまどか、「宇宙の死を回避する」というキュゥべえ、これらの目的が合致した場合、すべての登場人物の目的が達成される本当の大団円に向かっていくのが、次回作であり、「ワルプルギスの廻天」はそれの準備段階だった可能性があります。
しかし、筆者の個人的には、悪役だったキュゥべえとすら手を組むという展開をただ見てみたい、という願望もあります。
ワルプルギスの夜の真実
ワルプルギスの夜の正体
出典: www.youtube.com
ワルプルギスの夜の正体は、奇しくもまどかと同じ願いであった、かつて「すべての魔法少女を救いたい」と願い、キュゥべえと契約した一人の少女「マルグリート」が関与していました。
出典: www.youtube.com
マルグリートは貧困によって人々が命を落とす過酷な環境で生き、魔法少女の呪いを自らに吸収する力を得ます。教会の修道女として、他の魔法少女たちの呪いを肩代わりするようになりました。しかし、無数に抱え込んだ呪いはやがてマルグリート自身の限界を超えてしまい、彼女自身を含む魔法少女たちの怨嗟は巨大な呪いの集積へと変貌を遂げていきます。
そして、マルグリートが救済の願いを叶えきれず、結果として呪いの塊に変わり果てた存在たちと融合して産まれたのが「ワルプルギスの夜」です。
ワルプルギスの夜は、名塚底根が生み出される以前に魔女となった存在であったため、名塚底根によって名前を与えられることがなく、名前が存在しませんでした。作中では「名前のない少女」と呼ばれ、エンドロールや公式パンフレットでは「ワス」という通称が与えられています。
ワスの想い
出典: www.youtube.com
魔法少女マルグリートだったワスは、自身もかつて円環の理に回収されましたが、変質したことで名塚底根を通って現世に出てくることができました。彼女が持つ記憶は、まどかによって改変される前の宇宙、すなわち「円環の理」発生以前の世界を基準としたものです。
この世界では、多くの少女たちがただの「呪い」となり、魔女として再定義される前の存在として苦しんでいました。ワスは、そうした呪いを救済し、魔女という概念を生み出す名塚底根を作り出した存在であり、最終的に円環の理に救済される「ワルプルギスの夜」としての記憶を持っています。
上述の通り作中では、ワスや紫丁香が「私たちを救ったのは円環の理というシステムではなく、鹿目まどかという個人だった」と語ります。
この言葉は、円環の理の根幹にあるのが、システム性ではなく、まどかという個人の願い、すなわち「誰にでも寄り添い、涙を流してくれる優しさと強さ」であることを強調しています。特にワスは、このまどかの「エゴ」によって救われた存在であり、その意味で、ほむらの対となる存在であったのでしょう。
キャラクターたちの深堀り
暁美ほむらの変遷と「自分のための願い」
出典: www.youtube.com
ほむらは、「絶対に折れない」人物ではなく、「折れかけても再起する」人物として描かれています。彼女は「まどかのため」という一心で悪魔となりましたが、その実態は自己否定の極限であり、まどかという存在に自己の全てを委ねていました。
しかし、「ワルプルギスの廻天」では、まどか自身からその「愛」を否定され、さらに自分の行いが「鹿目まどか」そのものを破壊しかねないことを突きつけられ、一度は心が折れそうになります。
ここで重要な役割を果たすのがさやかです。さやかはほむらに「正しさ」ではなく「お前のエゴを貫き通せ」と背中を押します。
さやか『この宇宙で一人だけ、あんただけは…。あんただけは!まどかを円環の理って呼ぶな!』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天>
さらに、舞台挨拶でさやかの声優である「喜多村英梨」さんがおっしゃっていたことですが、さやか自身が上条恭介に告白できなかった経験があるからこそ、ほむらの背中を押すことができたと。これにより、ほむらの「自分の傍にまどかが居てほしい」という純粋なエゴを認めたのでしょう。
この言葉によって、ほむらは「まどかのため」だけではない、「自分のための願い」を持つ「暁美ほむら」としての自我を確立し、再び立ち上がる力を得たのです。
美樹さやかの葛藤と献身
出典: www.youtube.com
美樹さやかは、前作「叛逆の物語」で悪魔ほむらに最も早く敵意を示した人物であり、それゆえに最も厳重な記憶改竄を受けていました。しかし、彼女は円環の理の使者としての記憶を取り戻し、ほむらの行動の根底にある「まどかを救いたい」という純粋な願いを誰よりも理解して共感します。
彼女がほむらの背中を押すシーンは、TVシリーズで誰よりもほむらを敵視していたさやかが、今や誰よりもほむらを理解し、支える存在へと成長したことを示しており、「ワルプルギスの廻天」の中で最もかっこいい女性でした。
百江なぎさの意外な活躍
『叛逆の物語』終盤、改変された世界でさやかはいち早く悪魔に対して敵意を示したため、悪魔の最大の警戒対象となりました。衣装の包帯も、魔女の残滓を覆い隠す狙いがあると推測され、記憶の改ざんも厳重だったのでしょう。
出典: www.youtube.com
一方、円環の理の使者であったなぎさは、『叛逆の物語』終盤で他のクラスメイトたちと楽しそうに駆け回る様子や『ワルプルギスの廻天』の序盤や中盤あたりでもただ楽しんで生きていることが描かれていました。
これはまるですべてを忘れてしまったかのようにも見えましたが、実際には記憶が残っていた可能性が高いです。
なぎさ『クソくだらねぇ過去よりも、マミ達と楽しくしている今が1番素敵なのです!』
『まどかが神様?ほむらが悪魔?だったらなんですか?なぎさの邪魔さえしなければどうぞお好きに。知ったことじゃないのです。』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天>
あの天真爛漫な振る舞いは、知らないふりをしているわけでも、道化を演じているわけでもなく、本当に「楽しいことだけをしたいから」過去の何もかもには見向きもしなかっただけだったとなぎさ本人も言っています。ある意味でこれは無敵の在り方であり、悪魔も無害と認識して放っておいたのかもしれません。なぎさの彼女の言葉がさやかの再起を促し、ひいてはほむらに発破をかける流れに繋がったことは、素晴らしい展開でした。
セルマ・テレーゼが象徴するもの
出典: www.youtube.com
セルマの「役に立たなければ意味がない、愛されない」という強迫観念と、なぎさの「役立たずのあなたでも愛してた」という言葉は、TVシリーズ最終回のまどかの自己犠牲の否定でもあります。
まどか『こんな自分でも誰かの役に立てるんだって、胸を張って生きていけたら、それが一番の夢だから。』
出典: 魔法少女まどか☆マギカ 第3話
このまどかのセリフからわかるように、愛されていると知ってなお「誰かを助けたい」という巨大なエゴを背負うまどかとの対比が描かれています。
そして、なぎさからセルマに対し「役立たずのまま死んでほしい」というのは、ただ生きているだけでも肯定されることを伝えているのでしょう。何も成し遂げられなくとも、誰の役に立たずとも、あなたの生は肯定されているのです。
セルマの使い魔の形が糸車であることは、まどマギにおける因果を指す「糸」との関連性があると思われます。しかし、セルマの使い魔の糸車が「何の因果ももたらさない」ただぬいぐるみを編むだけの存在である点は、徹底的に「役立たず」が強調されている皮肉であると解釈できます。
続編への期待と真の完結へ
ポストクレジットシーンの続編を匂わせる描写も考慮すると、『魔法少女まどか☆マギカ』という作品において、ほむらとまどかが別々の道を歩み出し、互いに別れを告げる作品だと、エンディングとしてまだ考える余地があります。
続編が示唆されている以上、今度はほむら一人だけでなく、見滝原の魔法少女全員でまどかを取り戻すエピソードが描かれる可能性があります。今まで孤独だったほむらが後押ししてくれた仲間を得たことで、次こそは「皆で」まどかを取り戻すという希望を持っていると考えることができます。
『魔法少女まどか☆マギカ』という作品は、『叛逆の物語』の完結から、真の完結へ向かって、少しずつ前進していると言えるでしょう。






















記事の間違いやご意見・ご要望はこちらへお願いします。