2026年8月28日に公開された『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』。『ワルプルギスの廻天』は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』のその後を描いた物語です。
本記事では、特に議論の多いラストシーンとエンドロールを重点的に考察しながら、パンフレット、名塚底根、キュゥべえ、「廻天」の意味など、作品全体に残された謎や伏線を読み解いていきます。
この記事は『TVアニメ 魔法少女まどか☆マギカ』、『劇場版 [新編]叛逆の物語』、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』の多大なるネタバレを含みます。
ネタバレ防止のお願い
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〈ワルプルギスの廻天〉をご鑑賞いただく
皆さまへ、あらためてのお願いです。ネタバレを含む投稿につきましては
【9/12(土)0:00】までご配慮いただくよう、
ご協力をお願いいたします。#まどかマギカ pic.twitter.com/LMbdP1q4M1— 魔法少女まどか☆マギカ (@madoka_magica) August 27, 2026
『ワルプルギスの廻天』の考察を簡単にまとめる
まず、本記事で考察する主なポイントをまとめます。
謎・ポイント |
本記事での考察 |
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ラストのまどかはどうなった? |
円環の理へ戻った可能性はあるが、「鹿目まどか」という人格まで失われたとは考えにくい |
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まどかとほむらは別れた? |
同じ場所にはいられなくなった可能性があるが、完全な決別とは考えにくい |
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エンドロールの足跡 |
二人の別離だけでなく、TVシリーズから続くまどかとほむらの歩みを表している可能性 |
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ポストクレジットの電話 |
パンフレットでは「スカディ電話」、公式グッズでは「円環の電話」。冒頭とポストクレジットをつなぎ、まだ救われていない誰かの存在を示している可能性 |
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パンフレットの意味 |
「ほむらがまどかを救う」だけでなく、「まどかがほむらを救う」という救済の循環を示している可能性 |
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本作はハッピーエンド? |
本作単体では未完成だが、真のハッピーエンドへ向かうための重要な一歩と考える |
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ワルプルギスの夜 |
単なる「倒すべき敵」ではなく、救われる側でもあったことが重要 |
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名塚底根 |
円環の理とは異なる原理で、魔女や魔法少女を扱うシステムである可能性 |
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キュゥべえの狙い |
名塚底根を円環の理への抜け道や、新たなエネルギー回収に利用する可能性 |
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「廻天」の意味 |
『叛逆の物語』で止まった物語が、真の結末へ向けて再び動き始めることを示している可能性 |
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続編 |
今度はほむら一人ではなく「皆でまどかを救う」物語へ進む可能性 |
ラストシーンでまどかとほむらはどうなった?
『ワルプルギスの廻天』でもっとも大きな謎のひとつが、ラストシーンです。終盤では「鹿目まどか」と「円環の理」が向き合い、その後、ほむらがベンチへ戻ったときにはまどかの姿がありません。
もっとも分かりやすく考えれば、まどかは再び円環の理へ戻ったという結末でしょう。しかし、本作にはTVシリーズのラストへそのまま戻っただけとは考えにくい描写も残されています。
まどかは円環の理へ戻った?
出典: www.youtube.com
『叛逆の物語』で、ほむらは円環の理から「鹿目まどか」という人間としての部分を引き離しました。『ワルプルギスの廻天』終盤では、それまで分断されていた鹿目まどかと円環の理が再び向き合っており、ラストでまどかがほむらの隣から消えた以上、円環の理としての役割へ戻った可能性は高いでしょう。
ただし、重要なのは「円環の理」と「鹿目まどか」は完全に同一のものとして扱われていない点です。本作では、円環の理というシステム以上に、その根本にいる鹿目まどか本人の意思が重要であることが改めて強調されています。
「鹿目まどか」という人格は残っている?
そのことを象徴しているのが、ワスたちが自分たちの救済について語る場面です。
ワス『私たち魔法少女は円環の理というシステムではなく、鹿目まどかという少女の願いに救われていた。』
魔法少女たちを救っていたのは、機械的に機能する「円環の理」というシステムだけではなく、その根本にある「魔法少女を救いたい」という鹿目まどか本人の願いだったと読み取れます。
このセリフを踏まえると、本作のラストも「鹿目まどかが再び円環の理へ吸収されて消えた」というより、円環の理と鹿目まどかの関係そのものが、新しい形へ変化したと考える余地があります。円環の理として魔法少女を救いながらも、その中に「鹿目まどか」という個人が存在し続ける形へ変わったのかもしれません。
まどかとほむらは最後に別れた?
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ベンチにまどかがいない以上、少なくともラスト時点では二人は同じ場所にはいません。本作だけを切り取れば、ほむらが『叛逆の物語』で取り戻したまどかを再び失った、ある意味ではバッドエンドにも見えます。
しかし、「二人の関係そのものが終わった」と考えると不自然な部分があります。そのひとつが、物語の最後に描かれるほむらの表情です。
ほむらが穏やかに眠っていた理由
『叛逆の物語』のほむらは、まどかを取り戻すことには成功したものの、決して幸福そうではありませんでした。世界の秘密を一人で抱え、さやかとも対立し、自らを「悪魔」と呼んでいます。
一方、『ワルプルギスの廻天』の最後でほむらは穏やかな表情で眠っています。もし結末が「まどかを完全に失った」だけなのであれば、この表情には違和感があります。
大きな違いは、ほむらがもう一人ではないことでしょう。これまでほむらは「まどかを救えるのは自分しかいない」と考え、一人ですべてを背負ってきました。しかし本作では、ほむらの事情や願いを理解する仲間たちがいます。たとえ現在まどかが隣にいなくても、もう一度まどかを救うために一人だけで戦う必要はなくなったからこそ、穏やかな表情だったのでしょう。
「私はここにいるよ」と“電話”の意味
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本作では何種類もの「電話」が登場します。中でも重要なのが、ほむらに関係する「トカゲさん電話」と、円環の理に関係する電話です。
後者は劇場パンフレットでは「スカディ電話」、公式グッズでは「円環の電話」という名称で扱われています。また、ハノカゲ氏によるコミカライズや『魔法少女まどか☆マギカ Magia Exedra』にも、同じデザインの電話が登場しています。
そして重要なのが、『ワルプルギスの廻天』の冒頭とポストクレジットです。物語の冒頭では、円環の理のまどかがこの「円環の電話」を取る場面が描かれます。一方、ポストクレジットでは再び同じ電話が鳴り、今度は何者かが受話器を取ったところで物語は幕を閉じます。
つまり、『ワルプルギスの廻天』は「円環の電話を取る場面」で始まり、「円環の電話を取る場面」で終わっていることになります。
出典: www.youtube.com
電話とは、離れた場所にいる相手同士をつなぐ道具です。まどかの「私はここにいるよ」という言葉も含めれば、姿が見えなくなったとしても、まどかという存在そのものがほむらから失われたわけではないとも受け取れます。
また、パンフレットではスカディ電話について、「まだ救っていない者がいる」ことを知らせるような説明がされています。ポストクレジットでもこの電話が鳴ったということは、物語が終わった時点でもまだ救済を必要としている誰かが残っていることを示しているのかもしれません。
最後に電話を取った人物が誰なのかは明らかになっていません。しかし、本作がすべてを解決して終わったのではなく、次の救済へ物語が続いていることを示す重要な伏線だと考えられます。
本作は二人にとっての最終的なハッピーエンドではなく、本当の意味で二人とも幸せになれる関係へ進むための一歩だったのではないでしょうか。
エンドロールの足跡は何を意味している?
ラストシーンと並んで重要なのが、エンドロールに登場する複数の足跡です。公式からそれぞれの足跡の正体が明言されているわけではありませんが、鹿目まどか、暁美ほむら、円環の理、悪魔ほむら、キュゥべえ、トカゲなどを表しているのではないかと考えられます。
白と黒の足跡はまどかとほむら?
中心となる白と黒の足跡は、白=まどか、黒=ほむらと考えるのがもっとも分かりやすいでしょう。さらに途中で足跡の形が変化していることを踏まえると、「鹿目まどか→円環の理」「暁美ほむら→悪魔ほむら」という、それぞれの変化まで表している可能性があります。
つまりエンドロールは、『ワルプルギスの廻天』のラストだけではなく、TVシリーズから『叛逆の物語』を経て本作へ至るまでの二人の歩みを足跡だけで表現しているのかもしれません。
足跡が離れる=二人の決別?
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二人を思わせる足跡が別々の方向へ進むように見えることから、「まどかとほむらは最後に別々の道を選んだ」とも解釈できます。ただし、エンドロール全体では足跡が途中で変化し、位置を変えながら進んでいます。
そのため、ここで重要なのは「二人が離れた」という結果そのものより、二人がそれぞれ自分の足で歩き始めたことではないでしょうか。
これまでのほむらは、まどかと一緒にいるためなら世界そのものを書き換えました。しかし一度それぞれの道を歩けるようになったからこそ、次は一方が一方を縛ったり、誰かが犠牲になったりするのではなく、対等な二人として再び出会える可能性があります。
エンドロールの足跡は、二人の永遠の決別というよりも、次の物語へ向かうための一時的な別離を表しているのではないでしょうか。
ポストクレジットの「円環の電話 / スカディ電話」とは?
エンドロール後のポストクレジットでは、「円環の電話」として商品化された電話が再び鳴り、何者かが受話器を取ります。この電話はパンフレットでは「スカディ電話」と呼ばれており、冒頭で円環の理のまどかが取った電話と同じものと考えられます。
つまり、本作では冒頭とポストクレジットが同じ電話によって接続されています。
エンドロールではまどかとほむらを思わせる足跡が離れていきますが、その直後に「離れた相手とつながる」電話が再び鳴ることまで考えると、二人の完全な決別を示すラストとは言い切れません。
むしろ、一度それぞれの道へ進んだとしても、二人の物語がまだつながっており、次の物語へ続いていくことを示しているのではないでしょうか。
パンフレットから読み解くまどかとほむらの結末
本編やエンドロールだけではなく、劇場パンフレットにも二人の結末を考えるヒントがあります。
特装版カバーに描かれたまどかと悪魔の羽
特装版パンフレットでは、まどかとともに悪魔ほむらを連想させる羽が印象的に配置されています。
本編の最後では二人が離れたように見えますが、公式パンフレットでも二人を象徴する要素が重ねられているのであれば、物理的に離れても二人の関係まで切れたわけではないことを示している可能性があります。
そして、それ以上に重要なのが裏表紙に書かれた言葉です。
裏表紙の言葉が紐解く登場人物たち
裏表紙には、以下のような言葉が記されています。
『女神さまは 魔法少女を』
『魔法少女は みんなを』
『あなたは 女神さまを』
『あのこは あなたを』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天> パンフレット
「女神さま」を円環の理=まどか、「魔法少女」を過去から未来まですべての魔法少女、「みんな」を彼女たちが守ってきた人々と考えれば、最初の二つはまどかが魔法少女を救い、魔法少女たちが人々を救うという関係を表していると解釈できます。
一方、「あなた」は「女神さま」と別の存在として書かれています。「あなた」をほむらと考えれば、「あなたは 女神さまを」は、シリーズを通して続いてきたほむらがまどかを救おうとする物語そのものになります。
「あのこ」=まどかなら、今度はまどかがほむらを救う?
出典: www.youtube.com
最後に残るのが「あのこは あなたを」です。「あなた」がほむらであれば、「あのこ」を鹿目まどかと解釈することができます。
すると裏表紙の言葉は、まどかが魔法少女を救い、魔法少女が人々を救い、ほむらがまどかを救い、最後にはまどかがほむらを救うという救済の流れになります。
これまで『まどか☆マギカ』では、ほむらがまどかを救おうとする物語が繰り返されてきました。しかし『ワルプルギスの廻天』では、その関係が初めて反転し始めているのではないでしょうか。
救済の一方通行が「循環」に変わった?
TVシリーズでは、まどかが魔法少女たちを救う代わりに自分が世界から消え、概念と化しました。『叛逆の物語』では、ほむらがまどかを救う代わりに、自らが孤独な「悪魔」になっています。
これまでは常に、救う側の少女が最後には犠牲になる構造でした。しかしパンフレットの言葉をそのままつなげれば、今度は救われた者が別の誰かを救い、最後にはほむら自身も救済の循環へ入っていきます。
最後まで「誰かを救う側」だったほむらが、今度は誰かから救われる。これが実現したとき、シリーズは初めて「誰か一人の犠牲」に頼らない結末へ進めるのかもしれません。
『ワルプルギスの廻天』は「真のハッピーエンド」への助走?
ここまでラストシーン、エンドロール、パンフレットを見てきました。これらを合わせると、本作はハッピーエンドそのものではなく、真のハッピーエンドを成立させるための準備を描いた作品だったと考えています。
TVシリーズでは「まどか」が犠牲になった
TVシリーズでまどかは、すべての魔法少女を救いました。しかし、その代わりに鹿目まどか自身が世界から消え、ほむらだけがその存在を覚え続けることになります。
世界や魔法少女たちは救われても、まどか本人と残されたほむらまで救われたとは言えません。誰か一人が世界のために犠牲になったという点で、完全なハッピーエンドではなかったのでしょう。
『叛逆の物語』では「ほむら」がすべてを背負った
『叛逆の物語』では、今度はほむらがその結末を否定し、円環の理から鹿目まどかを引き離しました。まどかを普通の少女として暮らせる世界へ戻した一方で、ほむら自身が世界の秘密と罪を一人で背負うことになります。
つまりTVシリーズでは「まどかが犠牲になって皆を救った」、そして『叛逆の物語』では「ほむらが孤独になってまどかを救った」。形は違っても、どちらも一人の少女の犠牲によって成立した幸福でした。
『ワルプルギスの廻天』で初めて「皆」が事情を共有した
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『ワルプルギスの廻天』で大きく変わったのは、上述の通り、ほむら一人だけがまどかを救おうとしているわけではなくなったことです。
これまでほむらと対立していた少女たちも、まどかを「円環の理」というシステムとしてだけではなく、一人の鹿目まどかとして捉えるようになります。ワスたちの言葉も、魔法少女を救ったものがまどか本人の願いであったことを強調しています。
さらに、これまで過去や世界の秘密を抱えていたほむらの事情も仲間たちに共有されました。「まどかを救えるのは自分しかいない」というほむらの孤独が、本作でようやく崩れ始めたのです。
この変化こそ、『ワルプルギスの廻天』が次の物語へ残したもっとも大きな希望ではないでしょうか。
「誰か一人が救う」から「互いに救い合う」物語へ
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パンフレットの言葉まで含めれば、本作では「まどかが魔法少女を救う」、「魔法少女が人々を救う」、「ほむらがまどかを救う」、「今度はまどかや仲間たちがほむらを救う」という循環が生まれ始めています。
これまでの『まどか☆マギカ』が「一人の少女が誰かを救う物語」だったとすれば、『ワルプルギスの廻天』からは「皆が互いを救う物語」へ変わり始めたのではないでしょうか。
その循環が完成したときこそ、まどかもほむらも誰も犠牲にならない「真のハッピーエンド」にたどり着けるのだと思います。
『ワルプルギスの廻天』で残された謎・伏線を考察
ラストやまどかとほむら以外にも、本作には今後のシリーズにつながりそうな謎が残されています。ここでは作品全体を考えるうえで重要なものに絞って考察します。
百江なぎさの意外な活躍
『叛逆の物語』終盤、改変された世界でさやかはいち早く悪魔に対して敵意を示したため、悪魔の最大の警戒対象となりました。衣装の包帯も、魔女の残滓を覆い隠す狙いがあると推測され、記憶の改ざんも厳重だったのでしょう。
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一方、円環の理の使者であったなぎさは、『叛逆の物語』終盤で他のクラスメイトたちと楽しそうに駆け回る様子や『ワルプルギスの廻天』の序盤や中盤あたりでもただ楽しんで生きていることが描かれていました。
これはまるですべてを忘れてしまったかのようにも見えましたが、実際には記憶が残っていた可能性が高いです。
なぎさ『クソくだらねぇ過去よりも、マミ達と楽しくしている今が1番素敵なのです!』
『まどかが神様?ほむらが悪魔?だったらなんですか?なぎさの邪魔さえしなければどうぞお好きに。知ったことじゃないのです。』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天>
あの天真爛漫な振る舞いは、知らないふりをしているわけでも、道化を演じているわけでもなく、本当に「楽しいことだけをしたいから」過去の何もかもには見向きもしなかっただけだったとなぎさ本人も言っています。ある意味でこれは無敵の在り方であり、悪魔も無害と認識して放っておいたのかもしれません。なぎさの彼女の言葉がさやかの再起を促し、ひいてはほむらに発破をかける流れに繋がったことは、素晴らしい展開でした。
ワルプルギスの夜も「救われる側」だった?
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TVシリーズでは、ワルプルギスの夜はほむらがどれだけ時間を繰り返しても倒せない巨大な災厄として描かれていました。しかし本作では、その存在にも複数の魔女や魔法少女たちの物語が関係していることが明らかになります。
つまり、ワルプルギスの夜は単なる「倒すべき敵」ではなく、救われるべき魔法少女たちの物語を内包した存在でもあったことになります。これまで敵だった存在まで救済の対象へ入ったことは、本作が「誰も取り残さない結末」へ向かっていると考えるうえでも重要でしょう。
ワルプルギスの夜そのものの正体や、ワス、マグルリートとの詳しい関係については、別記事で詳しく考察しています。
名塚底根とは何なのか?
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本作でも特に世界観へ大きな影響を与えたのが、名塚底根(なづかそこつね)です。一度円環の理に導かれた魔法少女たちが、名塚底根を経由して再び現世へ戻っていることから、単なる場所ではなく、円環の理とは異なる原理で魔女や魔法少女を扱う「システム」のような存在である可能性があります。
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円環の理が「魔法少女を魔女になる前に救済するシステム」だとすれば、名塚底根は「魔女に関する情報を保存・定義するシステム」と考えることもできます。魔女にはそれぞれ固有の名前、性質、結界、使い魔が存在するため、名塚底根がそうした情報と深く関係しているのであれば、魔女という存在を成立させる基盤だった可能性もあるでしょう。
さらに、円環の理は鹿目まどかという一人の少女の願いから生まれながら、成立後は一つの法則として独立して存在しています。名塚底根にも同じように、作り手や管理者がいなくなっても仕組み自体が残り続ける「構造体」としての性質があるのかもしれません。
名塚底根から戻った魔法少女たちが意味するもの
重要なのは、名塚底根を通って現世へ戻った少女が一人ではないことです。この仕組みが今後も利用できるのであれば、過去に円環の理へ導かれた別の魔法少女が現世へ戻ってくる可能性もあります。
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これは『まどか☆マギカ』の世界をさらに広げられる仕組みです。一方、セルマ・テレーゼについては、その正体や針の魔女との関係自体がひとつの大きな考察テーマになるため、本記事では名塚底根から戻った魔法少女の一人としての役割までに留めます。
キュゥべえは名塚底根を何に利用する?
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名塚底根によって再び重要になるのがキュゥべえです。インキュベーターは魔法少女から得られるエネルギーを利用して宇宙の寿命を延ばしてきましたが、円環の理が成立したことで従来の魔女化によるエネルギー回収は成立しなくなり、『叛逆の物語』では円環の理そのものを観測・制御しようとしました。
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名塚底根では、本来なら円環の理に導かれたまま戻れない魔法少女が現世へ帰還しています。キュゥべえがこの仕組みを解析すれば、今度は円環の理を直接支配するのではなく、「円環の理を迂回する」バックドアのようなものとして利用する可能性があります。
さらに、名塚底根が通常の宇宙の外側にあるなら、世界改変の影響を受けないバックアップ領域になる可能性も考えられます。世界が再び書き換えられても、外側にいる個体や情報が改変前の状態を保持できるのであれば、インキュベーターにとって非常に大きな意味を持つでしょう。
「魂のリサイクル計画」の可能性
さらに大胆に考えると、円環の理へ導かれた魔法少女が名塚底根から現世へ戻れる仕組みは、インキュベーターにとって新しいエネルギー回収方法にもなり得ます。
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一度円環の理へ導かれた魔法少女を名塚底根経由で現世へ戻し、再び活動させる。いわば「魔法少女の魂のリサイクル」です。
もちろん、現時点でキュゥべえがこの計画を持っているという根拠はありません。ただ、名塚底根の仕組みとインキュベーターの目的を組み合わせると、今後の展開として考えられる仮説ではあります。
そして、もし魔法少女を完全に犠牲にせずエネルギー問題を解決できる仕組みが生まれるなら、魔法少女側とインキュベーター側の利害が一致する可能性もあります。キュゥべえが「改心する」のではなく、結果的に少女たちにも利益のあるシステムを選ぶという形です。
それが実現すれば、魔法少女も、まどかも、ほむらも、そして宇宙も救われるという、シリーズにとっての大団円につながる可能性もあります。
「ワルプルギスの廻天」の「廻天」とは何を意味する?
『叛逆の物語』の最後で、ほむらは世界を書き換え、まどかを普通の少女として残しました。一見すれば、そこで世界はほむらにとってひとつの完成形へ到達していますが、それはほむら一人の力によって無理に固定された世界でもあります。
また、本作は「円環の電話」が鳴り、円環の理のまどかが受話器を取る場面から始まります。そしてポストクレジットでも、再び同じ電話が鳴り、何者かが受話器を取るところで終わります。
『ワルプルギスの廻天』では、まどか、ほむら、円環の理、ワルプルギスの夜、魔法少女たち、キュゥべえと、それぞれの運命が再び動き始めました。
そのため「廻天」とは、単にワルプルギスの夜が動き出すことだけではなく、『叛逆の物語』で一度止められた物語そのものが、真の結末へ向けて再び廻り始めることを意味しているのではないでしょうか。
続編では「皆でまどかを救う」物語になる?
『ワルプルギスの廻天』には、まどかの現在の状態、ワスがほむらと同じ顔を持つ理由、名塚底根の本当の役割、キュゥべえの狙いなど、多くの謎が残されています。本作だけですべての問題が解決したとは言いにくく、物語をさらに先へ進められる要素は十分にあります。
暁美ほむらの「自分のための願い」
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ほむらは、「絶対に折れない」人物ではなく、「折れかけても再起する」人物として描かれています。彼女は「まどかのため」という一心で悪魔となりましたが、その実態は自己否定の極限であり、まどかという存在に自己の全てを委ねていました。
しかし、「ワルプルギスの廻天」では、まどか自身からその「愛」を否定され、さらに自分の行いが「鹿目まどか」そのものを破壊しかねないことを突きつけられ、一度は心が折れそうになります。
ここで重要な役割を果たすのがさやかです。さやかはほむらに「正しさ」ではなく「お前のエゴを貫き通せ」と背中を押します。
さやか『この宇宙で一人だけ、あんただけは…。あんただけは!まどかを円環の理って呼ぶな!』
出典: 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ <ワルプルギスの廻天>
このさやかの言葉はほむらだけでなく、マミや杏子、紫丁香、セルマ、そしてワスの心にまで響き、ほむらの背中を押すことも決めます。
今度はほむら一人ではない
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次の物語を考えるうえでもっとも大きな変化は、ほむらが一人ではなくなったことでしょう。
これまでは「まどかが一人で皆を救う」、「ほむらが一人でまどかを救う」という物語でした。しかし今は、ほむらの事情を理解する仲間がおり、円環の理に救われた魔法少女たちもまどか本人の願いを知っています。
もし次の物語でまどかを救うのであれば、それはほむら一人の戦いではなく、「皆でまどかを救う」物語になる可能性があります。
まどかもほむらも救われる「真のハッピーエンド」へ?
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理想的な結末は、人間としてのまどかを救いながら、円環の理による魔法少女の救済も失わず、ほむらも孤独にならず、魔法少女たちも犠牲にならないことです。
一見すると両立できない願いばかりですが、『ワルプルギスの廻天』では名塚底根という新しいシステムも登場しました。本作で新たに用意された要素が、それらを両立させる答えにつながる可能性があります。
まどかが魔法少女を救い、魔法少女たちが人々を救い、ほむらがまどかを救う。そして最後には、まどかや仲間たちがほむらを救う。この循環が完成したとき、シリーズはようやく誰か一人の犠牲を必要としない「真のハッピーエンド」へ到達できるのではないでしょうか。
『ワルプルギスの廻天』はその答えを描いた作品ではなく、その答えへ向かうために登場人物たちを新しいスタートラインへ並べ直した作品だったと考えています。
『ワルプルギスの廻天』のざっくりあらすじ解説
ここからは、本作を改めて振り返りたい人向けに、『ワルプルギスの廻天』の物語をざっくり整理します。
ほむらが作り直した世界
『叛逆の物語』の最後で、暁美ほむらは円環の理から鹿目まどかを引き離し、自らを「悪魔」として世界を書き換えました。その世界ではまどかは普通の中学生として暮らし、マミや杏子たちも平和な日常を送っています。
しかし、それはほむらによって世界や記憶を変えられた危うい平和でもありました。
見滝原に現れる新たな魔法少女たち
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やがて、円環の理へ導かれたはずの魔法少女「魔女っ子」が現世へ現れます。「すべての魔女の始まり」とされる名塚底根も明らかになり、ほむらと似た姿を持つ「名前のない上級生/ワス」も登場します。
こうして、ほむらが固定していた世界に少しずつ異変が生じていきます。
ワルプルギスの夜の真実へ
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物語が進むと、TVシリーズ最大の敵だったワルプルギスの夜について、その成り立ちや魔法少女たちとの関係も明らかになります。
これまで「倒すべき災厄」でしかなかったワルプルギスの夜にも、救われるべき少女たちの物語が存在していたことが分かっていきます。
仲間たちがほむらの事情を知る
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本作で大きく変化するのが、ほむらと仲間たちの関係です。これまでほむらの行動を理解できなかった少女たちが、その理由を知り、「まどかを救いたい」という願いを受け止めるようになります。
ほむらは初めて、一人だけでまどかを救おうとする少女ではなくなったのです。
まどかと円環の理が再び向き合う
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終盤では「鹿目まどか」と「円環の理」が再び向き合い、最後にはまどかがほむらの隣から姿を消します。一見すれば二人は再び離れ離れになりましたが、今度のほむらには彼女を理解する仲間たちが残っています。
エンドロールには二人の歩みを思わせる足跡が描かれ、さらに名塚底根とキュゥべえという今後につながりそうな要素も残されました。こうして本作は、すべてを解決するのではなく、次に本当の答えを出すための状態を作って幕を閉じます。
まとめ
『ワルプルギスの廻天』だけを見れば、鹿目まどかと暁美ほむらは最後に同じ場所にはいません。その意味では、完全なハッピーエンドとは言いにくいでしょう。
しかし、TVシリーズではまどかが自分を犠牲にして皆を救い、『叛逆の物語』ではほむらがすべてを背負ってまどかを救いました。どちらも「一人の少女が誰かのために犠牲になる」ことで成立した結末です。
『ワルプルギスの廻天』では、その構図が初めて変わり始めました。仲間たちがほむらの事情を知り、まどか本人の願いも改めて重視され、さらにワルプルギスの夜まで「救われる側」として描かれています。
パンフレット裏表紙の言葉を踏まえれば、まどかが魔法少女を救い、魔法少女たちが人々を救い、ほむらがまどかを救い、最後にはまどかがほむらを救うという循環も見えてきます。
物語は「誰か一人が誰かを救う」段階から、「互いに互いを救う」段階へ進み始めたのではないでしょうか。
だからこそ、『ワルプルギスの廻天』は終着点ではありません。一度バラバラになった少女たちが、今度こそ全員で幸せになるために走り出す、その助走を描いた物語。
それが、本作の結末なのだと考えています。





























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